遊佐未森『ハルモニオデオン』(ASIN:B00005G4D3)

Harmoniodeon

 社会人に成りたてだった1989年。忙しさに追われてじっくり音楽に耳を傾ける余裕を失っていた頃、休日出勤していた僕は社用車のラジオから偶然流れてきたある曲に耳を奪われました。粒立ちのよいナチュラルな生ギターに粘るベース、どっしりと重いドラム、そして何より天まで突き抜けるような高音のヴォーカル。仕事の話題に興ずる同乗していた先輩たちの中で一人興奮を禁じ得なかったことを覚えています。『0の丘∞の空』。それが遊佐未森の音楽との出会いでした。
 “空”“草原”“駅”“森”“バス”“川”そして“丘”。このアルバムを彩る数々のキーワードは間違いなく童話的であり、それもまた重要な魅力の一つです。しかし、メルヘンの一言では片付けられない骨太なサウンドとそれを凌駕する圧倒的な歌声こそがこの作品だけが持つ唯一無二の美点であり、誰にも真似ることのできない遊佐未森の個性と言えるでしょう。あまりにも傑出したヴォーカルが音の洪水を呼び寄せ、煌びやかな音楽の渦にリスナーを巻き込むのです。
 遊佐の声と対等に渡り合うプレイヤー陣もまた豪華です。中原信雄・寺谷誠一・鶴来正基・古賀森男青山純佐橋佳幸・渡辺等らがそれぞれに個性的なアプローチで華を添えていますが、特筆すべきは純粋にギタリストとして2曲に参加した土屋昌巳の演奏でしょう。遊佐本人の作曲による『僕の森』ではアコースティック・ギターハーモニクスでしっとりとしたメロディー・ラインに彩りを添え、太田裕美のペンによる『空色の帽子』では一転して恐竜のように唸りを上げるリード・ギターが作品に緊迫感を与えています。
 四十路を前にして今はやや高音に翳りの見え始めた遊佐ですが、僕にとっては数少ない同世代の怪物。今後もより一層の活躍に期待しています。今の彼女にしか表現し得ないエロティシズムは確実に存在するのです。そして願わくば、矢野顕子との共演盤の実現を!